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マチノテスタッフ北林の「将来の夢」(わたしの夢と挫折)

マチノテスタッフ北林です。
今日も冷えますね。

昨日、今日は、初の「大学入学共通テスト」でした。
昨年までは「大学入試センター試験」だったのですが、名称だけでなく、出題内容も現実社会で起きる身近な話題を扱う出題が目立ち、問題数も増えたとか。

20数年前にセンターを受験した時のことを思い出すと、京都の街中を一人でとぼとぼ歩いていた記憶…
テストの内容や、会場でのことなどは何も覚えていないし、もちろんどんな問題が出たかも覚えていません。

今週のスタッフブログは「学生の時に抱いていた夢と、今の夢」です。
ほんとは高校の時の夢なんですが、せっかくなので、覚えている限りのことを書いてみます。

保育園の時の夢

「西部警察」と「太陽にほえろ」が大好きな子供で、将来の夢は「刑事」と書いて「デカ」です。
「デカになりたい」と保育士の先生に伝えたのに「婦警さんになりたい」と短冊に書かれたことが不満だったことを、いまだに覚えています。

小学生卒業時の夢

これは卒業文集に書かれています。
すぎやまこういちのような作曲家」と。※呼び捨てで書いていましたw
ちょうど、ドラクエ4にハマっていて、オーケストラによるドラクエの音楽をずっと聴いていたからかもしれません。
このころ、京都の有名私立中学校の受験に失敗し、人生で1回目の挫折を味わったところでした。

高校生の時の夢

小学生の時は、作曲家とか書いていましたが、中学生の時からなのか、将来は美術系の仕事がしたい、と思うようになっていました。小さいときからお絵描きや工作が好きではありましたが、仕事をして意識し始めたのは中学生からだったように思います。
そうなると、中高一貫の進学校に進学してしまったことはマイナスで、音楽、美術や家庭科の授業が少なく、高校になってからは期末テストが終わってから成績が出るまでの数日間で一年分の美術の授業を詰め込んでいました。
そこは私立、美術の先生に「美術系の大学を受験したいから、放課後デッサンを教えてくれ」とお願いしたら、すんなりOK。時間も教室も用意してもらえて、週1回、デッサンの時間をつくってもらうことができました。夏休みなどは京都市内の芸大・美大受験予備校へ通いましたが、やっぱり学校の先生にちょこっと習っているくらいではダメだなと。当時地元には受験対策で教えてくれる教室は無く、二次試験の出題傾向や対策には、やはり芸大・美大受験予備校必要だなと感じました。

高校2年生のときに、立て続けにコンクールで賞をとり、その中でも毎日新聞と芸術系の専門学校が主催で開催されたデザインコンクールでグランプリをとったのが、大きな転機になったと思います。
それまで、わたしが芸術系大学を受験することに反対していた両親や、一般的に名前が分かる大学に進学してほしかった学校の先生たちも、手の平を返したように、賛成してくれるようになりました。
中でも母は、表彰式で審査員長を務めた当時のJAGDA(日本グラフィックデザイナー協会)会長の永井一正さん(2020東京オリンピックエンブレムのデザイン選考の審査員代表でした)に、「ぜひ芸術系の大学にすすませるべきだ」と直に言っていただいたことで考えを変えたようです。

しかし、いざ大学に入ってみると、まわりの人たちの才能や自分の不甲斐なさに打ちひしがれて、大学を出たからといって、芸術系の仕事になんかつけやしないんだと、中学校受験とは比べ物にならないほどの挫折を味わいました。
「ハチミツとクローバー」「ブルーピリオド」を読むと、あの頃のもやもやした気持ちと同時に、懐かしさも感じます。
あの頃に戻りたいかといえば、全然戻りたいとは思わなくて、しんどかったことも楽しかったことも、1回しかないから価値があるんですよね、きっと。

大学をぎりぎりで卒業し(バイトばかりで一般教養の単位がギリギリだったため、卒業式にも出ずに補講を受けていましたw)なんとか大阪の小さな広告会社に就職しましたが、就職氷河期というのもあって、ずっとびくびくして過ごしていたのを覚えています。

何度か転職したのち、紆余曲折を経て、足利へやってきました。
ここでまた、人生の転機が訪れるのです。

今、抱いている夢

スタッフ紹介でも書いていますが「将来は舟屋でスナックをするのが夢」です。
舟屋、ご存じですか?(伊根の舟屋
京都のアマルフィとも呼ばれ(盛りすぎ感w)海辺ぎりぎりに建ち並んでいるので、海から眺めると、まるで海に浮かんでいるかの様に見え、素敵なところです。
主人とわたしが釣りが趣味ということもあり、将来は海のそばに住みたいと思っていました。
主人と週末に「スナックがけっぷち」というごっこ遊びのようなことをしていて、将来は海のそばで、「スナックがけっぷち」を本当にやれたらいいね、とぼんやり考えていました。
※わたしがママで、主人がお客さん。キッチンのカウンターにおつまみをいっぱい並べて、カウンター越しにおしゃべりしながら呑む、というのが我が家の「スナックがけっぷち」ですw

そんな中で、5年前、足利でマチノテを運営しているコムラボと出会い、これがわたしの転機となったのです。
コムラボが足利市から委託を受けて開催していた「在宅ワーク講座」の1期生として関わったのをきっかけに、フリーペーパー「おともり」を発行するNPO法人おともりを設立、マチノテでも働くこととなりました。
ちなみに、在宅ワーク講座の2期で受けた「ライティング講座」でも、挫折を味わいましたが、この時は、一緒に受講していた仲間たちのおかげで乗り越えることができました。大人になって、親になってからの挫折って、若いときよりも乗り越えるのにパワーが必要な気がします。

平成最後の

マチノテで「関係人口」という言葉に触れ、田中輝美さんのトークライブに参加し、ちょっとした気づきもあって、関係人口や地域づくりについて勉強するようになりました。そんな中で、コミュニティの場所としての「スナック」というのを知りました。マネージャーの山田に相談したところ、やってみればいいと快諾していただき、何度か「すなっくマチノテ」を開催しました。

関係案内所マチノテ

すなっくマチノテ盛況でした!

やってみて、素直に、楽しい。
やり始めた時の思惑とは外れたところにニーズがあったようですが、それはそれで学びとなりました。
10年住んだ足利に思い入れもたっぷりありますが、やっぱり地元に戻って、これをやってみたいという夢を持つようになりました。

将来の夢はスナックのママです、って小学生の娘が言ったらちょっと考えてしましますがw
40を過ぎた大人のわたしの夢「舟屋でスナックを開くこと」です。

「ちょっと今日おかずないから、裏でなんか釣ってきて」と主人が舟屋で釣りをする
「今日これが余ったから持ってきたよー」と近所の人が遊びに来たりする
「今日は家でひとりだったから、顔見に寄ったよー」と気軽に立ち寄れる、そんな感じのスナック。

ちょっと辺鄙なところですが、ふらっと遊びによっていただけたら嬉しいです。
(将来ね)

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